ウォー・ベスチャル・ブラックメタルとは何か - II - 

⇒ 「ウォー・ベスチャル・ブラックメタルとは何か - I

■ Bestial Black Metalのルーツ①・サンパウロのハードコア・パンク

 前回は本コラムのイントロとして「ウォー・ベスチャル・ブラックメタルというジャンルがあるのか?」という切り口で概説を述べた。では実際にベスチャル・ブラックメタルについて、そのルーツを実際の音などを交えながら説明していこう。

 1970年代終わりから80年代初頭の南米はブラジルを見てみよう。1964年から続いていた軍事政権の限界が露呈した時期である(1985年に崩壊して民政移管された)。貧富の差の拡大などから国民の不満が募る中で、海外よりロックが流入して人気を博しはじめていた。そしてアンダーグラウンドにおいてはハードコア・パンク、そしてメタルも流入していた。

 そのような中で特に「過激化」というキーワードで掘り起こしていくとハードコア・パンクの影響は大きく、大都市サンパウロにおいてOlho Seco(1980年結成), Ratos de Porão(1981年結成), Brigada do Ódio(1983年結成)といったハードコア・パンクバンドが現れた。特にBrigada do Ódioは当時すでにグラインド・コアとも言える内容の音楽をプレイしている。



 掲載した音源は1985年のもので、グラインド・コアの始祖的存在と言われるNapalm Deathの1stアルバムがリリースされる以前のものなのである。当時はクラスト・コアのDischargeの影響を受けてフィンランドのハードコア・パンクが大いに隆盛になった時代であり、ブラジルにもその余波が到達していたようだ。フィンランドのハードコア・パンクバンドであるTerveet KädetはブラジルのSepulturaのMax Cavalera 氏が当時から聞き込んでいたことを後のインタビューで述べている。

 しかしいずれにしてもBrigada do Ódioは実に強烈なノイズコアを発している。この「特異点」こそが次の時代を生む分水嶺である。このハードコア・パンクが俄かにシーンを形成しつつあったサンパウロにて1980年に結成されたのがVulcanoである。しかし実は彼らが初めて世にリリースした1983年のEP "Om Pushne Namah" は何てことはない普通(?)のヘヴィメタルであった。



 後の彼らを知っていると笑ってしまうような作風である。しかし逆にこのEPしか知らないで次の作品を聞けばもっと驚くことであろう。いきなり路線を大きくブラックメタルにシフトさせてきたのである。1984年リリースのデモ "Devil on My Roof"だ。



 1984年とはヨーロッパではSodomの1st EP"In the Sign of Evil"、Bathoryの1stアルバム"Bathory"という二つの重要な音源がリリースされた年であり、この頃に当時は第三世界と目されていたブラジルにてこのようなスタイルの音楽が誕生していたのだ。これは彼らが当時、ハードコア・パンクバンドたちとギグを共にするなどして変化したスタイルなのだと言われている。もちろんアンチクライストな姿勢などはVenomの影響があったことが考えられるが、音楽的な苛烈さはむしろハードコア・パンクによるものが大きかったことは音を聞けば解る。

 彼らのスタイルチェンジはベスチャル・ブラックメタルの誕生を促すものであった。但し彼らの存在がこのジャンルのランドマークではない。ここで今回、あえて収録曲の紹介をライブ動画で行ったワケがある。というのもこのライブ、1986年にベロ・オリゾンテで行ったものなのである。ベロ・オリゾンテ…この地こそがベスチャル・ブラックメタルの発祥の地である。

■ Bestial Black Metalのルーツ②・Sodom

 ベロ・オリゾンテに1980年から続く一件のレコードショップがあった。その名はCogumelo Records。1985年にレーベル活動を開始してリリースしたのがOverdoseSepulturaとスプリットLPである。Overdoseはいわゆるパワー/スラッシュメタルであったが、Sepulturaはブラックメタル化したVulcanoの影響を強く受けていた。しかしこの作品がリリースされる前にSepulturaから出ていった男がいた。彼の名はWagner Lamounier。彼の目的はより冒涜的で獣性の伴う速くて重い音楽の創出であった。そして作り出したバンドが Sarcófagoである。

 Cogumelo Recordsが続いてリリースしたのが、そのSarcófagoを含む4-wayスプリット "Warfare Noise I"である。他の参加バンドはMutilator, Chakal, Holocausto。いずれも後にブラジリアン・メタル史に残るバンドたちであろうが、まず何といってもSarcófagoである。

sarcofago.jpg 
Sarcófago



 彼らのスタイルこそが後に「南米のトラディショナルスタイル」と世界中で称されるベスチャル・ブラックメタルの原型にして完成型である。彼らのスタイルは当時こそは「デスラッシュ」などとも呼ばれた。彼らの楽曲名からきていると思われるが、今では該当するジャンルは異なるスタイルを指すため、今ではベスチャル・ブラックメタルと呼ぶ方が区分けできる。

 本にも記載した通り、彼らの存在は後にヨーロッパで勃興する2nd waveとしてのブラックメタルにも大きな影響を与えたわけだが、同時にこのスタイルというものは世界中のアンダーグラウンドシーンに継承されながら現在に至っており、いわば一つの極値解を当時すでに出していたと言えるのではなかろうか。

 このようなスタイルはブラジリアン・ハードコアパンクシーンからSepulturaまでの流れ、そしてそこからより邪悪で過激な音楽を産み出そうとしたエポックメイキングな意思があった。一つには稀代のベスチャル・ドラマーであったD.D. Crazyの存在がそれを可能にしたと考えられるが、一方で"Warefare Noise I"ではまだドラマーは前任者のArmandoが担っていた。ではそのbarbaric(野蛮)でbestial(獣性)なスタイルの呼び水となった最も大きな存在は何だったのだろうか。筆者はSodomだったのではないかと推察している。



 当人たちが後年耳コピによるセルフカバーすら覚束ない崩壊した演奏は、その奇跡的なアンサンブルとして成立した。「無理しなさんな」というほどの楽曲は当時は「ハードコア・メタル」などと海外で呼称されていたようだ。特にChris Witchhunterのドラミングはそのもたつき方だけでなく、なぜだか最後に上手く締めるところまで味わい深いものであり、一時期は特に国内を中心に「汚物系スラッシュメタル」との呼び声も高かったが、実はブラックメタルの原型としてのサタニック・スラッシュメタルの名盤であることが00年代以降に世界的評価として固まっており、Sarcófagoにも大きな影響を与えたと思われる。実際、Sarcófagoを聞きながら随所にSodomへのworshipが滲み出ているのが解ることであろう。

 さてSodomへの影響といえばHolocaustoも同様である。



Holocausto War Metal 

 ブラジリアン・メタルの中で初期Sodomの「なぜだか最後に上手く締める」感を継承したバンドとしても有名であるが、もう一つ彼らを「過激」なバンドとして成立させたのは写真にも示す通り、そのアティチュードである。どうやら当時のブラジルはナチスのモチーフを使用するバンドが多かったことがヨーロッパのファンジンで言及されている(先のVulcanoは当時のインタビューで「幼稚な行為」だと指摘しており、ブラジルの中でも地域的に割れていたようだ)。その中でもバンド名、作品タイトルなど全てにおいて露骨だったのがHolocaustoである。彼らは思想に基づいた行動というより露悪趣味に近い行為であったのではないかと推測されるわけだが、いずれにしても物議を醸したバンドである。また違う見方をすると"War Metal"という単語が目に入る。現在ウォー・メタルが意味するジャンルは後に言及するがBlasphemy影響下のブラックメタル・スタイルを指すわけだが、彼らの存在も重要視すべきである。

 また1980年半ばから後半にかけて既に最先端でスラッシュメタルからデスメタルやグラインドコアに過激化のスタイルがシフトしつつあった中で(スラッシュメタルがマーケットにおいて存在感が出てメジャー化したことも一端であろう)、当時のブラジルのアンダーグラウンド・メタルにおいては第三世界であるが故の海外からの情報供給の乏しさなどから、古き良きスラッシュメタルスタイルの継続もなされていたわけで"Warfare Noise I"でSarcófagoと共演したMutilatorやChakalはそのようなブラジリアン・スラッシュメタルの流れを汲んでいったバンドである。補足までに言っておくとMutilatorは"Warfare Noise I"の収録曲に関してはベスチャル・ブラックメタル・スタイルであった。



 さて今回はだいぶ長くなってしまったので一旦、筆を収めよう。次回はSarcófagoの誕生以降のブラジリアン・ベスチャル・ブラックメタルの流れについて触れ、更に一方でコロンビアなどのブラジル外の南米で同時多発した南米カルト・ノイズメタルについても取り上げることで、80's ベスチャル・ブラックメタルをまとめたい。

 それでは次回をお楽しみに。

⇒ 「ウォー・ベスチャル・ブラックメタルとは何か - III -」
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2016年を振り返る 


 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


 昨年は11月に本を出しまして、またその関係で新宿duesでのトークイベントの出演やHMVでのSIGH 川嶋さんとの対談などブログ外の活動もあり、貴重な経験をすることができました。


 本に関してはもうだいぶ触れましたので他のイベントについて触れますと、新宿duesのトークイベントにおきましては、私の他にはるまげ堂/Butcher ABCの関根さん、Record BOYの大倉店長、Sighの川嶋さんと4人で登壇し、パブリブのハマザキさんに司会進行を務めていただきました。まず「ウォー・ベスチャル・ブラックメタル」というテーマの本を出したというだけでも執筆者本人が「こんな本売れるのか…?」という不安があったわけで、更にはトークイベントだなんて3~4人を前にして喋らなくてはならないかもしれないと思いつつ当日を迎えました。当日、出演者としてduesに入ろうとすると既に入り口に数名入場待ちしている方もいて驚きました。始まってみればイスは満席で後方に若干の立ち見の方も。冷静に考えてみれば自分以外の3名が揃ってトークするというだけで動員は堅かったですね。内容の詳細は足を運んでいただいた方に敬意をこめて差し控えさせていただきますが、全く流れが止まることなくトークイベントとしては成功と言えるのではないでしょうか。惜しむらくは2時間は短すぎたことですね。そのくらい濃いやり取りが展開されましたし、消化不良な内容もありました。さて今後、新宿duesでは「デスメタル・ジャパン」と題したトークショーがシリーズ化されるそうです。実に楽しみです。


 続いてHMVでの対談におきましてはHMV本社ビルで川嶋さんと。






 実はほぼ打ち合わせなしの一発撮りでしたがいかがだったでしょうか。私としては川嶋さんのおかげというよりほかなかったですが、実は何をしゃべったのかもうよく覚えていません。動画を見るのも恥ずかしさが勝ってしまい(笑)。しかし何はともあれトークイベントの時もそうでしたが、概論を語るにはまとまった時間があっても足りなくてですね。もちろん執筆にかけた時間を思えば短時間で説明できない内容なのは当たり前なのですが、それでももう少しコンパクトにまとめあげるべきでしたね。今後、このブログで諸々のフォロー記事をアップしていくつもりなのでそこはぜひ期待してください。


 というわけで執筆活動からリリース後のイベントに至るまで今年はなかなか忙しく、音源を買ってもまともに聞く時間が取れませんでした。購入した音源は93枚、うち新譜(当年リリース)は25枚でした。新譜とは言えども再発物も多くまともなアンテナは張れていませんでしたね。今後聞き込みながら順次インプレッション記事も書いていきたいと思います。


 それでは今年もよろしくお願いいたします。

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